メッセージ(1) 

2005年1月    代表取締役社長 藤原 薫

私たちの事務所はこれまで山形という地方都市にあって、地域の方々によって生かされ、その地域(風土)から学び、それを建築という形で還元してまいりました。そのような意味で、私たちには「地域社会にいかに貢献するか」という視点から2つの命題があると考えています。ひとつは「技術力のある設計事務所をつくりあげる」ことで「質の高い雇用の受け皿として期待される存在となる」ということ、もうひとつは地域に根ざした設計事務所として「地域の風土を反映した建築や街並みを実現する」ということです。

《地方における設計事務所のあり方》
1990年代のバブル景気崩壊以降、建設需要の減少にはなかなか歯止めがかかりません。このことは、公共建築において、設計のプロポーザル・コンペの増加、PFIに代表される新たな事業手法の増加に拍車を掛けています。とりわけPFIは建築の企画・設計・施工に始まり施設運営までをトータルな事業として捉え、民間資金の導入によってその効率化をはかる一方で、当然ながら一定の品質の確保を求めるものです。このことは機能分化が進み、分化した個々の部門が高いレベルにある大組織にとっては有利ですが、一方で小さな組織にかかる負担は相当なものです。理屈ぬきで建築を愛し、その力を昼夜を問わず設計に注ぐほどの気迫ある集団でなければ、これからの競争に勝ち抜いてゆけないかもしれません。

《技術力を持つということ》
私は8年前まで東京に本社を持つ建設会社で、建築構造の設計や研究・開発に携わっておりましたが、義父である先代所長・鈴木健吉の逝去をきっかけに生活の拠点を山形へと移すことになりました。
私の専門が構造設計ということもありますが、当時、近畿地方に甚大な被害をもたらした1995年の阪神淡路大震災(さらには先日の新潟県中越地震においても)は、地震に対する建築設計の考え方を問い直すものであると同時に、一般の人々の地震に対する備えの大切さを再認識させる事件でした。皆さんご存知のように、山形県でも地震に対する認識の高まりは近年とても強いものがあります。私も地域の方々に安心して利用いただけるような建物の設計に、少しでも寄与することが重要な使命であると考え続けています。
また、これまで長年培ってきた福祉施設や文教施設を中心とした公共施設の設計、さらに個人住宅をはじめとする民間施設の設計についてもいっそうの充実をはかりたいと考えています。
このような取り組みを通して得られる技術力のさらなる向上は、当社の設計事務所としての「すその」を広げ、建築設計の分野で卓越した技術力を持つことにつながります。これは我々企業が生きていく上での命題でもありますが、また一方では地域の中で建築を目指す若者にとっての「質の高い受け皿」として評価されることへもつながることでしょう。

《地域に根ざした街づくり》
欧米では街のいたるところで古い建物を見ることができます。中には歴史的に重要な建物もありますが、個人の住宅やアパートといった、よりプライベートな建物についても同様です。そしてそのことがその街独特の雰囲気を醸し出します。建物を何世代にもわたって大切に使う彼らの姿勢に、学ぶべきところが多いと感じるのは私だけではないでしょう。山形県を例に考えてみますとどうでしょう。雪国ということで首都圏に較べて堅牢な建物は多いようですが、「山形らしい」あるいは「山形独特の」街並みや建物を目にする機会は非常に限られています。
皮肉にも日本経済の低迷がきっかけではありますが、我が国においてもスクラップ&ビルド一辺倒の社会から、次第にリニューアルやコンバージョンといったリサイクル型の社会へと移行しつつあります。それは社会(そして建築業界)の成熟を表す一端なのかもしれません。
このように建物の寿命が延び、時代の流れと用途に合わせてリフォームされていくことは循環型社会の実現という側面で見れば歓迎すべきことですし、いつしかその街の歴史の一部に変容していくことにつながります。そして、そのことが自分の住む街に対する愛着を生み、街独自の雰囲気として定着していくのです。
設計の技術的な進歩や向上が、建物の安全性を向上させ、建物寿命を延ばすことはもちろんですが、実はこうした建物に対する意識の高まりが、安全で住みやすい地域社会をつくりあげる原動力になるのではないかと考えます。
私たちは地域との結びつきの深い設計事務所です。建築士として切磋琢磨することはもちろんですが、今後もこれらの命題の実現に向かって、地域との信頼関係を大切にしながら歩んで行きたいと考えています。

2018-11-06T11:08:01+09:002005年1月6日|
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