小林克彦
2011年10月5日、Appleのスティーブ・ジョブズ氏が亡くなった。彼が2005年6月12日にスタンフォード大学の卒業式で行った有名なスピーチがあります。「Stay Hungry. Stay Foolish. 」(ハングリーであれ。愚か者であれ。)その言葉の意味は、「安住すること無く、こだわり、探し続けること、そして、これまでの前例や常識に縛られないこと。」ということだと思います。 この言葉は、これまでの私の設計活動の基本であったような気がしています。昭和50年4月に現在のNTTの前身である日本電信電話公社建築局に入社して今年で37年、現在はグループ会社であるNTT都市開発株式会社で設計業務を担当しております。この間、組織はこれまでの前例や常識で画一化した建築を求めてきましたが、私はそれぞれのプロジェクトを通して、それぞれの状況に立ち向かい、感性的で個性的な建築を目指して 大組織に埋没することなく,常に悪戦苦闘しながら建築設計に邁進してきました。
会社に入社して12年目に社内外の仲間とともにART-SESSIONを立ち上げ、社外での活動を開始したのも、大組織では得られないものを求めていたからでした。このART-SESSIONは現在も活動を続けております。
昭和52年、私が24歳の時、初めてヨーロッパに40日間渡欧する計画をたてました。メンバー3名とも初めての渡欧でありましたが、これまでの建築旅行とは違ったテーマで渡欧することにしました。 当時渡航が難しかった東ヨーロッパの都市を訪れること。ウィーン分離派が活動した世紀末のウィーンを訪れ、1900年代のゼセッションをこの目で。 オーストリアの美術史家、ゼードルマイヤーが『中心の喪失』という書物の中で書いている総合芸術である教会堂を体現すること。また、移動手段としてレンタカーを使用したので、移動途中にドイツの民家、納屋を見て回ること。これらのテーマに沿って40日間、レンタカーで約4000km走破し渡航を敢行しました。この旅行で得られた感動と刺激は私の設計活動に計り知れない力となりました。これ以来、 会社での海外出張と個人での海外旅行と、ほぼ毎年1回は海外に旅行をすることを心がけてきました。
私がはじめて使ったPCはAppleコンピューターで Macintoshのデザインに一目惚れして以来ずっとMacintoshです。会社のPC導入当時、Windowsが主流で会社のPCも当然Windowsでしたが、会社のPC担当を説得して私のPCはMacintoshを導入しました。それ以来、ずっとPCはMacintoshです。今では私一人だけとなり、私の会社でのPC戦争がいまだに続いています。