藤原 薫
1.昔、私が心に抱いたこと
私は、入社以来構造設計に従事し今年で丸20年を迎えようとしている。入社は昭和50年である。昭和48年のオイルショックの煽りを受けて後の新規社員採用は激減し、長い間私は職場において最年少であった。それまで誰も経験したことのない環境下にあって、『自分自身の存在価値を高めるには、いかにすべきか?』という問いは、大きなテーマであった。当時、立てた基本姿勢は、次のようなことである。
1)経験に依存しない知識の修得(経験からの脱却)
2)経験した内容の分析と蓄積(経験の知識化)
3)探求心を維持するため意識の高揚(情熱と感動)
また、同時に立てた目標(夢)は次のことである。
1)新しい概念や理論を発見する。
2)新しい構造空間を発見する。
以上については、創造性豊かな科学者や技術者達の伝記や随筆を読み、常に発奮材料としていた。また、恩師の研究室には顔をよく出し、そこで刺激を受けることによって新鮮な気持ちを保ち続けた。私は設計者の中でも、特異な経歴の持ち主であろう。当然ながら、設計者として設計から監理までの経験を持つとして、構造解析プログラムの開発から高層RC造住宅の設計技術開発などの経験を持っている。すなわち、ラインとスタッフの両面を交互に経験している。開発は、ライン業務を重視する環境では、『彼はラインからはずされた、寄り道をしている』という印象が強く、ラインの設計者はあまり経験をしたくないと考えがちである。しかし、この開発というのは困難であればあるほど、知的な探求心を満たしつつ自分の可能性を開くことができる絶好のチャンスであると確信している。若い方にはぜひ挑戦的であって欲しいと思う。
2.今、心にふと抱いていること
建築構造は、社会の要請で発展して行く。したがって、学問的に明らかになっていないものでも、我々は最大の英知を結集して建物を建設して行かなければならない宿命を持っている。
1)ミクロな知識とマクロな知識
情報を科学的に処理する知識をミクロの知識とすると、その知識の集合体から導き出された仮説や結論がマクロな知識である。マクロな知識は、少ない情報から多くの事柄を推定できるので価値が高い。この両者の知識のバランスが重要である。しかし往々にしてミクロな知識だけに没頭しがちである。
2)部分と全体
部分の評価の総合は全体の評価とはならない。原子に人の心は存在しないが、原子の集合体である人には心が存在する。胃潰瘍は人の部分の問題であるが、胃潰瘍の原因となったストレスの除去は根本的な全体の問題である。今、部分の研究が多く、全体を捉える研究が不足している。
3)単純と複雑
本来、複雑な事象を単純な概念や理論で評価することが重要であるが、複雑なままのほうが難解で知的であると考える技術者が多い。中身にかかわらず、加減乗除による式より微積分式を高等と感じる傾向がある。しかし、単純は事象の理解とつながっている。 工学は、全て数学的に厳密に表現できるほど小さな集合体を扱わない。したがって、厳密さを少々犠牲にしても単純な評価技術の開発が望まれる。
4)情報は点であり、知識は線
情報はそのままでは事実の一例を示すだけであるが、それらの集合体を合理的に説明する線(連続)を得ることができれば、それは知識である。その知識を用いて様々な推測を行うことが可能となる。
5)社会への貢献
社会に良い影響を与える仕事に従事することは、お金に換えられない心の充実をもたらす。会社人間から脱却し、仕事に対する気持ちが健康的になる。
3.さて私の学位論文のテーマはなにか?
論文は、構造設計の川上領域である構造計画を研究テーマとしている。構造設計者にとってたいへん身近な問題ではあるが、マクロな知識を必要としている領域であるため論理的に表現しにくくほとんど手がつけられていなかった。
1)『構造設計者は、いかにして建物の部材断面を合理的に決定できるのか?』という入社当時に抱いた素朴な問題意識に対する集大成である。構造設計の分野ではコンピュータを用いた自動計算化および高度解析化が大いに進み続けている。一方、建物の性能やコストを最も左右する構造計画においてはその重要性が指摘されつつも、実用的な研究が進んではいない。 建物の諸条件を考慮しつつ経済的に構造計画を立てるには、経験豊かな構造専門家による判断を必要とする。しかし、それには積み重ねるべき専門的知識の量がヒューマンスケールを超えて膨大となっており、設計者にとって創造性発揮の障害となっている。
2)新たな指標(梁率、せん断柱率などの構造指標)を提案し、その指標と力学を結びつけることによって、この専門家の知識を簡便
に表現し、更に確実に知識を継承していく手法を示した。すなわち、部材の相対的量やプロポーションおよび架構形式などの条件から、例えば建物の性能の一つである固有周期や保有耐力などを推定する簡便な方法を示した。これは、諸条件を満足する部材断面を、いわゆる勘や経験にしたがった試行錯誤法ではなく、論理的に設定できることを示したことになる。
3)また、構造計画を支援する、有効なコンピュータシステムとしてまとめあげる手法を示した。
論文中で展開した多くの推定式や表現法を用いることにより、コンピュータと設計者の間でどのような会話が可能となるかを描いた。構造設計分野では、知識処理に関する研究はまだ皮相的であり、本質的には進んではいない。
4)『どのような知識の表現であれば、コンピュータは柔軟に設計者と会話できるか?』という問いに対して、本論文は一つの方法を示したことになる。
4.将来に向けて、心に抱いていること
日本の建設コストはアメリカの倍以上と言われているが、これでは本格化する国際競争に打勝つことができないと言える。 そこで私は、建物のコストプランニングの実戦的手法について柔軟な視点から研究し、戦略的なコスト競争力を持つために力を注ぎたいと考えている。 いくら膨大なデータを保有していても、データはそのままではただの数字でしかない。以下に、将来に対する私のいくつかの予測を掲げる。
1)手元にあるデータを大切にし、そのデータから絞れるだけの知識を産み出す努力をする必要がある。データ管理・分析技術は戦略的技術の要になる。
2)経験だけを重視する技術者は、コンピュータにその職場を明け渡す。
3)様々な技術が統合化され、意匠設計者、構造設計者、施工技術者といった技術者の概念が崩れてくる。
4)知識の継承を評価する社内システムが必要であり、これが企業の存続を決定する。知識の継承は、外国に比べると日本は優位 な環境にある。
最後に、学位授与式で東北大学西沢潤一総長から頂いた印象的な言葉を示して、この稿をおさめる。『あなたがたは己の体力の限界をよく知り、その限界ぎりぎりまで努力しなければならない。』
(補足)
社会人になってから西澤先生が書かれた本はずいぶんと読んでいた。しかし、恥ずかしいことに、こんな立派な方が東北大学で研究をされていたという事を学生時代には全く知らなかった。その西澤先生から学位を直接手渡された。とても感激した。