随想ブリューゲル(6) ブリューゲルのカンヴァス画

幸福 輝 (国立西洋美術館)

建築と絵画は大きく異なるが、似ているところがないわけではない。あるコンセプトに基づき、それを具体的な形におこす。次に、さまざまな素材を用いて最終形としてのモノをつくりあげるという点で両者は共通する。意図と用途に応じて、使われる素材が変化するのも同じである。だから、建築でも絵画でも、ある意味で、素材が決定的な重要性をもっている。いくら立派なアイデアがあり、いくら見事な技術があっても、それに応える高い質をもった材料がなければモノは生まれないからである。法隆寺や薬師寺とシャルトル大聖堂の違いを何より際立たせているのは、木と石という素材の違いである。素材がモノの本質を規定したのかもしれないし、モノの本質に相応しい素材が選ばれたのかもしれない。

これほど劇的ではないが、同じ絵画でも、日本画と油彩画を比較すれば、両者の違いは明らかである。前者には絹とか紙のような肌理の細かい素地が使われ、ここに水性の絵具で丁寧な描写が施される。これに対し、後者のほとんどの場合はカンヴァスである。カンヴァスとは亜麻布で、比較的粗い織布であることが多い。ここにこってりした油絵具が配されることで油彩画が生まれるのである。油彩画は西洋絵画の代名詞で、ブリューゲルもレンブラントも、モネもピカソも、彼らの絵画はそのほとんどが油彩画である。油絵具の専門的な定義はともかく、油彩画が生まれたのは15世紀フランドル地方のことだった。15世紀前半のヤン・ファン・エイクが「油彩画の父」と呼ばれるのは、この画家が油絵具を駆使した絵画を初めて制作したからである。重ね塗りと諧調表現(グラデーション)が容易な油彩画は事物の質感描写の可能性を飛躍的に拡大し、さらに、この技法では修正することも容易だったため、その後の西洋絵画の主役となった。

ところで、同じ油彩画といっても、そこにはいろいろな違いがある。といっても、ここで言うのは油絵具の顔料や成分の違いではなく、基底材の相違である。上記したように、油彩画の基底材の代表はカンヴァスである。しかし、ヤン・ファン・エイクやブリューゲルの時代、すなわち、15~16世紀のヨーロッパではまだカンヴァスは一般的ではなく、絵画の基底材といえば木材が主流だった。イタリアではポプラが一般的だったが、ネーデルラント地方では良質のオーク材が量産され、これが絵画の基底材として使われた。カンヴァスが流通し出すのは16世紀のヴェネツィアだったと言われている。木材を加工して絵画用の基底材に仕上げるためには大工の手が必要となり、当然、割高となる。織布は一種の工業製品だから、一度生産態勢が整のってしまえば、比較的廉価におさえることができ、しかも、輸送にも適している。カンヴァスが板を駆逐するのは時間の問題だった。しかし、板からカンヴァスへの移行は単に素材の変化にとどまるのではなく、絵画表現の根本的な変化を伴っていたのである。

ヤン・ファン・エイクの作品を見てみよう。瞬時に、入念きわまりない精緻な描写が見る者を圧倒する。事物の輪郭が明瞭で、そこに絵具が薄く塗り重ねられる。絵筆の運びは几帳面で、まるで、工芸品のような美しい塗りの仕上げ感がある。ヤン・ファン・エイクの絵画には硬質な平面を提供する板絵が必要だった。ところが、この一世紀後に制作されたティツィアーノの絵には全く異なる世界が生まれている。この画家の絵筆は、画面を自由自在に疾走しているように見える。事物は輪郭線を失い、周囲の空気と一体となってまるで画面全体が色彩の交響と化している。このような表現を支えているのが、ざらざらした素地のカンヴァスなのである。

ヤン・ファン・エイク 《ドレスデン祭壇画》(1437年)
国立ドレスデン絵画館

ティツィアーノ 《エウローパの略奪》(1560年頃)
ボストン、イザベラ・スチュアート・ガードナー美術館

西洋絵画史においてティツィアーノは大きな転換点となった。この画家を分水嶺としてカンヴァスが板絵にとって変わり、それに伴う絵画技法の大きな変化があったのである。16、17世紀の西洋絵画で最も敬意の対象となったのはレオナルドでもラファエロでもなく、間違いなくティツィアーノだった。ルーベンス、ベラスケス、レンブラントなど17世紀の大画家は、みなティツィアーノを規範としていた。とはいえ、歴史の流れには地域差がある。板絵の伝統が強いネーデルラントで、カンヴァスの浸透は緩慢だった。16世紀のネーデルラント絵画の主流は依然として板絵だったのである。ブリューゲルの場合もそのほとんどは板絵である。そして、板絵であるということは、基本的にヤン・ファン・エイク以来の伝統的絵画技法が尊重されていたことを意味する。その多くの作品において丁寧な描写をおこなったブリューゲルは、紛れもなくヤン・ファン・エイクの後継者であった。そのブリューゲルに、数点のカンヴァス画が残されている。ナポリの美術館に所蔵されている2点がよく知られているが、特に、《盲人の寓意》はブリューゲルの代表作として名高い。

ピーテル・ブリューゲル《盲人の寓意》(1568年)
ナポリ、カポディモンテ美術館

それにしても、奇妙な絵である。ここで、何が起こっているのだろう。ここで、何が描かれているのだろう。描かれている内容の平明さとは別に、ブリューゲルにはその制作意図とか主題の意味がよくわからない絵が少なくない。この絵でも、目の見えない乞食のような人々が列をなしているところが描かれている。先頭の人はすでに池に落ちており、後に続く者も同じ運命を辿るのだろう。貧しき人々の困窮きわまった運命が寓意的に描かれているのだろうか。当時、この地方を支配していたのはカトリックのスペインで、ここに描かれるのは外国の支配者に翻弄されるフランドルの民衆の姿であるとも言われている。ここで議論の詳細には立ち入らないが、この作品がカンヴァスに描かれていることは興味深い。この作品は制作されてすぐにイタリアに運ばれているので(17世紀初頭には、パルマのファルネーゼ・コレクションにあったことが判明している)、輸送を容易にするという現実的理由からカンヴァスが選ばれた可能性も排除できない。とはいえ、注文主がイタリア人で、当初からイタリアに運ぶことを意図してカンヴァスに制作されたのかどうかは現時点ではわからない。

しかし、この作品を見る限り、これは板絵ではなくカンヴァスにこそ描かれるべきだったという気がしてくる。視力を失い、社会の中で行き場を失った者たちは、さらなる不幸の連鎖の中で池に転落していく。粗いカンヴァスとやや「粗雑な」筆さばきこそがこの絵画に相応しいではないか。板絵からカンヴァスへのまさに移行期に描かれたこの作品の制作に際し、ブリューゲルがカンヴァスに描くことの意味を考えたことは間違いない。しかも、この作品では油絵具ではなく、水彩絵具(テンペラ)が使われており、それがこの作品から「高級感」を奪い、逆に「消耗品性」を強調することになった。この作品もまた、画中の盲人のように見捨てられるモノなのである。無論、どんなに貧しき世界が描かれていようとも、絵画は贅沢品である。ブリューゲルも、ブリューゲルに絵の注文ができるような富裕層と付き合っていたエリートであり、貧しき民衆の仲間であったわけではない。しかし、エリートであっても、社会のさまざまな矛盾や不幸に思いをいたすことはできる。この作品がカンヴァスに描かれていることほど、ブリューゲルの貧しき民衆への共感を示すものはない。素材がモノの本質と深く関わっていることをこの作品は教えてくれるようだ。

2018-12-04T13:37:15+09:002015年8月7日|Tags: |
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