私と英語

藤原 薫
中学校で初めて英語を習ってから、外国語への興味というものが始まった。日常の変化の少ない田舎に生まれた私は、英語という非日常的なものに魅せられた。英語に規則性があるからであろう、不思議とすっと頭に入った。しかし、発音には無頓着で、今では後悔している。
高校、大学時代は街で見ることのできる外国映画はほとんど見た。最近は,映画といえばほとんどアメリカ映画であるが、当時はフランス、イタリア、旧ソ連の映画などが普通に見ることができた。当時の貧しい日本(1ドル360円の固定為替相場)にあっては外国へ行けるなどとは露ほども考えていなかったので、映画を通じて外国を知ることは胸をわくわくさせるものがあった。フランス映画を最近見ることができないが、小説のようにメッセージ性の強いものが多かったし,アメリカのような娯楽中心のものとは大きく違っていた。
英語は会話を除けば大学時代までかなり得意な科目であった。ドイツ語もそうであった。成績だけはトップクラスであった。海外で活躍する夢を持っていたため、社会人になってからも独力で語学の勉強を続けていたが、専門的な勉強が忙しく次第に離れて行った。結局、教材にはかなりお金を使ったが、ものにはならなかった。
再び、私に英語を勉強する気持ちにさせたのは、トルコから日本へ留学生として来ていたジャヒット・コジャマン氏との出会いである。彼はアンカラ市役所の防災課の職員であった。1991年から1992年の2年間の東京滞在、14年前である。職場研修として来たわけだが、想像がつくようにみんなが遠巻きにして誰も彼に声をかけない。見かねて声をかけたのが彼との付き合いの始まりである。互いに理解しようとする気持ちがあったので、つたない英語でも意外と意志疎通はうまく行った。彼の話によれば国の方針でトルコの大学では英語で授業をしているという。日本の大学の多くがいまだに英語で授業をしていないのは、異質の文化を持った人と共通言語で意思疎通をするという点で大きな問題であると思う。
その後、たまたまめぐり合った本から、音の連結によってもともとの単語の発音が変化するという規則を知らないと英語の聞きとりができないという事実を知った。まさに目から鱗である。それまで、この点を指摘した本に出会ったことはなかった。おかげで少しは聞き取れるようになった。NHKの教材などはここに触れていないため、やみくもに勉強しても聞き取りの力を向上させるべくもない。これは永遠に教材が売れるための陰謀ではないのかと思った。

我が家には英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、トルコ語など語学に関する本がたくさんある。話せるようにはならないと思うけれど、海外旅行をする時はかならずその国の言葉を勉強してから行くことにしている。Mange tuck ! (スウェーデン語のありがとう)

 


私、田村氏(中央)とコジャマン氏 旧建築研究所にて

カッパドキアを背景にコジャマン氏

2018-07-19T10:26:33+09:002006年3月6日|Tags: |
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