ノースリッジ地震と兵庫県南部地震

藤原 薫

山形県建築設計事務所季刊「たより」への寄稿 加筆修正

兵庫県南部地震が起きたのは1995年1月17日である。朝方テレビに映った情景は、高速道路の橋脚が破壊され、道路が長い区間で転倒しているという悲惨で衝撃的なものであった。兵庫県南部地震は神戸市という大都市部を襲った、当時予想もされていなかった直下型の地震であり、マグニチュードは7.2という大きさであり、海洋型地震で想定されるマグニチュード7.8に比べればはるかに小さい規模の地震であった。この時私は、ちょうど1年前の1994年1月17日に起きた、ノースリッジ地震を思い出さずにはいられなかった。ノースリッジ地震は、カルフォルニア州ロサンゼルス市郊外で起きたマグニチュード7.1の直下型地震でちょうど同じ規模の地震であった。当時私は太平洋を眼下に望む16階建て共同住宅の被害調査と改修計画を行うために、2週間ほど渡米する機会に恵まれた。この建物は、柱が劇的なせん断破壊を生じた結果、自重を支えきれなくなり、部分的に大梁や床が10数cmにおよぶ沈下の様相を呈していた。柱内部のコンクリートが飛び散り、柱には大きな空洞があった。このような状況の中で建物の調査をしたわけであるが、今余震がきたらと思うと大変怖い思いもした。(この調査については、「1994年ノースリッジ地震災害調査報告」(日本建築学会)に詳しく掲載されているので、興味のある方にはご覧いただきたい。)現在は改修を終え、まるで地震がなかったかのように、元通りに美しく立っている。


被災後の状況


改修後の状況

この地震でも高速道路の橋脚は破壊したわけであるが、兵庫県南部地震の時のように転倒までにはいたらなかった。日本の某土木学科教授がテレビの中で「日本は耐震基準が進んでいるので、こんなことは日本では起こりえない。」という発言をしていた。しかし、土木の耐震基準が大地震を想定したものとなったのは最近のことであるから、古い高速道路は同じような被害を受けるに違いないと私はその時思った。根拠のない発言だったと思う。この地震で衝撃的だったのは、地震に伴う都市ガスによる火災であった。この地震によって火災の怖さ、上下水道、ガス、電力などのライフライン施設の耐震性、冗長性などに注目が集まった。また、行政当局により、命令系統に明確な組織的対応がなされたことも日本で注目を集めた。1年前にここまでわかっていたわけである。

さて、兵庫県南部地震に話を戻そう。そういう訳で兵庫県南部地震に関しては、私はノースリッジ地震を通して見ることとなった。私はその当時JSCA(日本建築構造技術者協会)のボランティアとして、建物の応急危険度判定作業に参加した。途中、建設省建築研究所の調査隊と合流し、中間階がつぶれてなくなってしまった神戸市役所の内部に入り込み、被害記録をとる機会を得た。調査隊のメンバーは、前年に終了した建設省総合開発プロジェクト「鉄筋コンクリート造建築物の超軽量・超高層化技術の開発」(委員長 岡田 恒男先生)に参加していた面々で、旧知の間柄であった。彼らと共につぶれて重なった階と階の間に隙間を見つけて、最上階まで深く入って行った。柱が床を突き抜けている様子や、散乱した事務机などを見ると、地震のすごさが思いやられた。市内の建物被害を見ると、鉄筋コンクリート造建物の被害は私の想像を超えるものではなかった。私は、日本の耐震設計の役目は一つ終えたという印象を強く持った。それほど、今の耐震設計法に加えることはないであろうと感じた。しかし、瓦礫の山にしか見えない、伝統的な木造住宅の被害は、想像を絶するものであり、木造住宅の耐震性の向上がとても喫緊のことであると強く印象づけられた。放置すれば、これは再び繰り返されると。また、ライフラインが寸断されて生活ができなくなっている状況や、行政当局の対応の不手際などを見るにつけ、アメリカに比べて日本の危機管理の脆弱さが思いやられた。

構造設計者の立場からすると、この地震を機会に、建物の耐震性が単に適用基準で単純に分類されるだけで、設計者の腕というものが無視されるようになってきた、という気がする。とても残念である。研究結果が基準に反映されるには長い時間がかかるため、この間に得られた知見を設計者が勉強して設計に反映してきた事実が無視されている気がしてならない。統計の怖さを思い知る。

私が東京から山形へ移って6年が過ぎようとしている。来た当初、山形は災害の少ないところで住民が地震災害にとても関心の薄いところだと知り、少々拍子抜けしたが、最近はさすがに新聞報道などにより、地震に興味を持つ人が多くなってきたようである。これが一種のブームに終わらないことを願っている。神戸市には多くの活断層があることは、専門家の中で随分と以前から知られていたことであったことを皆様にお知らせしておきたい。人間の一生のスケールで考えれば,ただ漠然と“地震は起きない”と皆思い込んでいただけではないだろうか。日本列島には、多くの活断層が走っている。地震はいつか必ずどこかで起きる。

2018-12-04T16:12:26+09:002003年3月12日|Tags: |
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